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湯河原町

かながわけんあしがらしもぐんゆがわらまち
神奈川県足柄下郡湯河原町

東京から約90km、横浜から約60kmに位置している神奈川県の最西端の町。

箱根や熱海の山々に囲まれた急峻な山地、比較的ゆるやかな丘陵地、
相模湾にそそぐ千歳川・新崎川流域の平坦地など、さまざまな表情を持っています。

黒潮の影響で冬は温暖、夏は冷涼。
相模湾の豊富な海の幸あり、柑橘を中心とした山の幸あり、
そんな自然に魅せられて、近年では移住者が増加しています。

「人を癒して、1200年」

話は奈良時代にさかのぼります。

我が国最古の歌集『万葉集』にこのような歌があります。

あしかりの とひのかふちにいづるゆの よにもたよらに ころがいはなくに

「足柄の土肥(湯河原)の川淵に湧く温泉が絶えないように、二人の仲も絶えることはない」と、
あの人はなぜか言ってくれない。だから私は、今後が心配でしかたがない。

約4500首が収められている『万葉集』の中でも、特に珍しい温泉を題材にした歌です。
実は、湯河原温泉のもっとも古い記述がこの恋歌なのです。
ステキだと思いませんか?

平安・鎌倉時代になると、ひとりの豪族の名前が注目されます。

どいさねひら
土肥実平です。

治承4年(1180年)、源頼朝が平家打倒を掲げて挙兵します。

しかし、石橋山の合戦にて敗北。
この時、湯河原まで落ち延びた頼朝をかくまったのが土肥実平です。
もし、実平がいなかったら、鎌倉幕府は無かったかもしれないのです。

この功績がたたえられて頼朝から厚い信頼を受けた実平は、源義経に従軍。
壇ノ浦の戦いで平家打倒の悲願を成し遂げました。

その後、実平は備前・備中・備後の3ヶ国(岡山)の守護に任じられ、
西国支配の責任者のひとりにまで上り詰めたのでした。

現在、土肥の名前は地名に残っており、
湯河原駅では土肥実平とその妻の像が当時の雄姿を今に伝えています。

時代は下って明治時代。

湯河原は文人・墨客に愛される町へと変わっていきます。

国木田独歩は旧中西屋の女中に失恋した思いを『湯河原より』に綴り、
島崎藤村は年4回の原稿提出後は伊藤屋旅館で湯治し、
夏目漱石は『明暗』で不動滝や自身が逗留した天野屋を描き、
与謝野晶子は旧真珠荘の大島桜を愛して歌を詠み、
谷崎潤一郎は湘碧山荘建ててそこで『源氏物語』の現代語訳をおこない、
芥川龍之介は湯河原を舞台に『トロッコ』『一塊の土』『百合』を書き上げました。

湯河原の何が彼らを惹きつけたのでしょうか?
現存する旅館や歌碑・詩碑などを巡って考えてみてください。

そして、再び温泉のお話。

湯河原の温泉は「薬師の湯」「名湯」などと称されています。
泉質はナトリウム・カルシウムー塩化物・硫酸塩泉。
一言でいうと「肌に優しい温泉」です。
サラサラとしていて柔らかく、湯冷めしにくいという特徴があります。
切り傷、打ち身、やけど、神経痛、婦人病などには特に大きな効能があるとされています。

恋の病に悩む万葉の歌人を癒し、
戦に傷ついた平安・鎌倉の武士を癒し、
創作に全身全霊を捧げた文人を癒し、
そして、現代に生きるあなたを癒す。

「人を癒して、1200年」

湯けむりと笑顔あふれる色彩のまち
湯河原に、ようこそ。

それから1200年間、湯河原は人々を魅了してきました。

つまり、湯河原は「人を癒して、1200年」なのです。

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